こまれ、無数の岩石は建築用として、洪水のなにがしかの代償となる。次の洪水がこないうちに、岩石はたちまち消えて、砂利だけの河底となってしまう。小さい河だから、一面しきつめ、つみ重なった岩石でも、タカの知れた数量なのである。あるいは、人間の消費する物の量というものが、洪水の怪力をもってしても歯が立たないほど、超自然的なものであるらしいのである。要するに、人間は自然に勝っている。そのちょッとした証拠でもある。
私は戦時中、日映に勤めていたとき、「黄河」という文化映画の脚本を書こうとしたことがある。
これは宣伝映画で、戦争中、シナ軍が退却に際して黄河の堤をきって水を落して逃げた、このために黄河の河口が数百里移動して揚子江にそそぐに至ったが、この日本軍の治水事業を宣伝映画にしようというわけだ。
前篇、後篇に分れていて、後篇がこの宣伝映画であるが、前篇は純然たる文化映画で、黄河とはいかなる河であるか、その独特の性格を知らせるための芸術効果を主にしたもの、つまり治水事業の困難さを知らせる伏線的なものである。そして万人がその困難さを納得するに値するだけの雄大独自な個性をそなえた大河なのである。私
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