った原動力というものは、果してかかる観念的な結論から到達した決断であったか、どうかは疑わしい。
私は思うに、人々は(立派な文士、学者、社会批評家、美術家をひッくるめて)焼かれた金閣寺という建築物に重点が置かれすぎて、判断に公平を失したのだろうと思う。金閣寺でなくて、もっと名もない建物に放火したのであったら、彼がもっと深遠な放火動機を述べたてても、まるで犯人の言った言葉が「生き物」として扱われるような、変な取扱いをうけることにはならなかったであろう。
私はこんな青年はザラにいると考えているのである。彼はたぶん変質者で、同居人や、主人筋の人々に愛されず、ひそかな反抗を内攻させて、あげくの放火であったろうと思うが、たまたま彼が金閣寺に住んでいたから、金閣寺に放火するに至ったまでのことである。彼が田中という旧家の使用人であった場合には、田中家に放火したであろう。
たまたま、このような青年が金閣寺に住んでいたために金閣寺が焼かれただけのことで、金閣寺というものの特性が彼に放火せしめたのではないのである。
自分を裏切った女の顔に硫酸をブッかける犯人は、裏切ったどの女にも硫酸をブッかける必然
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