津《てんしん》から、南は南京の対岸まで、黄河が流れた跡なのである。
 潼関から上流の三千余キロというものは、河南、山西、陝西《せんせい》、甘粛《かんしゅく》の黄土層を流れてくる。
 華北には雨季という特別のシーズンはない。時に、三日から十日ぐらいドシャ降りの降りつづく時がある。春先に多いが、他の季節にもある。黄土層にこのドシャ降りが降りつづくとつもりつもって黄河の大洪水となるのである。
 黄土層というところは木も草も一本ないハゲ山だ。ドシャ降りになると、山肌には無数のヒビができて、ヒビの中から泥の奔流がシブキをあげ滝となって斜面という斜面を落下して黄河へあつまる。これが深さ十数メートルの泥の流れとなって、シブキをあげて海へ走るのであるが、黄河の水は俗に水一斗につき泥六升という伝えがあって、だいたいに於て五〇パーセントの黄土を含み、水の流れではなくて、泥の流れなのである。
 この泥が黄河の底へたまるから、大雨のあとでは河床は一どに一米の余も高くなり、やがて平地よりも十数米も高くなってしまう。堤を高くしても追っつかない。二三十年目には、どうしても大洪水を起すという必然の運命になるのである。黄河の歴史のある限り洪水をくりかえしているのである。
 黄河治水は歴代の統治者の宿題であったが、今日に至るまで、成功した者はいない。二千年前に匙を投げた学者があって、堤をつくるのは下策である、水と地を争うというコンタンがマチガイの元で、水には逆わぬ方がいい。潼関から下流の人民をそっくり他の地へ移動させて、勝手に洪水にさせておくに限るという名論をはいた。なるほど、これに限る。さすれば洪水の悲劇というものは全然起らないが、その代り、最も肥沃な農作地帯に一粒の米も実らぬということになるだけの話である。
 だいたいシナという国は人口が多い。人間どもが繁殖しすぎる。こんなに繁殖すると、人口過剰で国運疲弊するが、洪水だのカンバツだのと天災が多くて、おかげで年々五十万もの百姓どもが死んでくれるので、ちょうどバランスがとれている。人口調節の天意であるから、天災には逆わん方がいい、という名論をはいた学者もいる。黄河治水は数千年来の難題であり、学者たちは、それぞれヤケ気味でもあるようである。悠々として成功を説いた歴代の学者に成功したタメシがないのだから、ヤケクソの方に名論が多い。
 洪水のたびに河口は移動
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