我が人生観
(五)国宝焼亡結構論
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)跫音《あしおと》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)千|米《メートル》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)事実[#「事実」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)チョロ/\
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 小生もついに別荘の七ツ八ツ風光明媚なるところにブッたてようという遠大千万なコンタンによって「捕物帳」をかくことゝなり、小説新潮の案内で、箱根の谷のドン底の温泉旅館へ行った。
 このへんは谷川といっても川の趣きではなくて、流れの全部が段をなした瀑布であり、四方にはホンモノの数百尺の飛瀑も落下している。音があると思う人には、これぐらいウルサクて頭痛の種のところもないかも知れないが、無神経の私には、こんなに音のないところはなかった。隣の話声も、帳場のラジオも、宴会室のドンチャン騒ぎも、蝉の声も、一切合財、きこえない。女中が唐紙をあけてはいってくるのが、跫音《あしおと》も、唐紙をあける音もきこえないから、忽然として、女中が現れている。忍術の要領である。文明国のどこを探しても、こんなに物音のないところはないのである。私はラジオの音が何より仕事の邪魔だが、ここではその心配が完全にない。大そう私向きの旅館であった。その代り、殺人事件があっても、きこえない。ここで捕物帳を書いていると、そういうことを時々考えてゾクゾクすることもあり、おのずから捕物帳の心境となって、探偵気分横溢しすぎるキライがないでもない。
 この旅館の庭は、何百貫という無数の大石で原形なく叩きつぶされている。アイオン颱風というもののイタズラである。
 私はこの川が海にそそぐところの、小田原市早川口というところの堤の下で洪水に見舞われたことがあるが、利根川の洪水とは、趣きが違う。利根川の洪水は、大陸的に漫々的で、巨人的であり、死神の国の茫々たる妖相にみちて静寂であるが、早川の洪水は違う。こんなウルサイ洪水はない。
 箱根山上千|米《メートル》の蘆ノ湖から目の下の河口まで直流してくる暗褐色の洪水が、太平洋の水面より四五米の余も高く、巨大な直線の防波堤となって、一|哩《マイル》も遠く海中に突入しているのである。太平洋の荒波が、この水の防波堤につき
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