言いかねなかった。たぶん、言ったであろう。
むろん、彼は彼女をそのようには愛していないのだ。決して愛人として愛してはいない。抑制力によって、そうであったわけではなく、まったく自分の娘のように可愛がった、という愛し方をふさわしいものと見るべきであろう。しかし、そのような愛情にしろ、底に肉慾が潜在していることは間違いはない。そして、綱のきれた風船状態になると、それが露骨に表面へでる。抑圧の下では隅ッこのとるにも足らぬ浮気心にすぎないものが、今や彼の意志の全部ぐらいにひろがる。すくなくとも、彼が彼女に一目会いたいと思いたった時には、ただ一目会いたいと思う程度であったが、やがて彼の意志の全部は、彼女との肉慾の遂行に塗りかえられていたのではないかと思われる。
だから、彼は、彼女に会うや、オレはお前を愛していた、あるいは、一しょに死のう、そんなことを、いきなり言ってしまう危険をはげしく感じはじめていた。その反面には、彼女との肉慾の遂行を目指すめざましい意志が、心にひろがる一方である。
こうして彼は、彼女の家へ近づく事ができなくなったばかりでなく、肉慾という想念に疲れ果ててしまった。そして娘を
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