力を恢復しなければ、ということを考えているものだ。
私の経験でいうと、こうして綱の切れた風船状態の時には、親しい人に会いたくなるのだ。いったいにメランコリイの状態には、親しい人には会いたいが、親しくない人には会いたくなくなるものだ。親しいといって一様でなく、又、マサツと関係もあって、その親しさには相当の個人差があるけれども、ハッキリ云えることは、一番親しいものではないということだ。一番親しいものは病気の原因の中にいつも含まれているのだから。だから、一番親しい女房や子供は病因の一つに含まれており、彼らの力だけでは病人をひきとめることはできない。そして、もっと別な親しい要素が貪慾に要求され、渇望される。しかし、その親しさは女房子供以上に親しいことを要しない。又、そのような親しさは有り得ないのである。つまり、やや無関心に類する親しさ、気楽な親しさ、である。いわば、息ぬきなのだ。
下山氏の自殺した現場の近い辺りに、彼が可愛がっていたタイピストが住んでいたという。このタイピストは下山氏が三国人に睾丸を蹴られた時、たった一人助けにきて介抱したインネンをもち、それ以来、彼に可愛がられるようになっ
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