やりたがらない人間のようにきこえるが、案外そうでもない。
 劇を書こうという考え、映画をつくりたいという考えなどを起すことがある。
 一昨年と昨年、それから今年になっても、三度、劇を書きはじめて、三度ながら中途で破ってしまった。劇を読ませるという目的だけで書き得たら、書きあげることができたろう。芝居道には素人の私であるから、読ませるだけの目的で書いても許してもらえそうだが、書きだすと、自然、見せることを主にして考えている。いつも、舞台を意識している。それで、つかえてしまう。
 見せる劇を意識すると、第一、劇の速力ののろさが筆をにぶらせ、近代劇の形式や、色々の制約に、疑惑をいだいてしまう。
 小説だと、どこでどなたが読むことだろうなどと考える必要はないが、劇というものは、舞台でなければ見せられないものだから、劇場の雰囲気のことまで考える。開幕をまつまでの見物人のことまで考えるに至るから、事ここまで思うに至っては、座付作者でもない私に筆の進むはずがなくなってしまう。第一、劇場も、雰囲気も、どこにも実在しないではないか。
 映画をつくってみたいと思ったこともある。なぜなら、映画は小説とまった
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