批評をよんで、まにあわせる人種もいるから、やっぱり商売往来の中にはいるかも知れん。
 しかし、文学をやり、小説家になろうと思い、思うように小説が書けなくて批評家になったというのは話が分るが、はじめから批評家になろうと志を立てた人間というのは、どうも解せない。はじめから、人の批評をすべく志を立てたという、人の批評をすることを商売に選ぶという人間の魂胆が怪しいじゃないか。
 つまり文化人というウヌボレ屋のヒマ人の中でも特別のウヌボレ屋の大ヒマ人で、自分の生活や手に職を持たないのが、批評家になる。批評家と共産党はウヌボレ屋の大ヒマ人の両横綱なのである。
 こういう口達者な連中には堅く門戸をとざして会わないから、奴め、唐変木、キチガイの人間ギライめなどと言われる。しかし、私は人間は好きだ。大好きだよ。同類だもの。しかし、共産党と批評家は、ウヌボレ屋でヒマ人で生活がなくて、とても彼らの魂胆が解せないから、つきあわない。
 大学生というのもヒマ人だ。しかし、これは、まだ商売の中にはいらないのだから、仕方がない。しかし、仕方がないと諦めているわけではなくて、ヒマ人にはつきあわない性分だから、彼らと交
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