では一席ぶとうとはコンリンザイ思わないのである。
しかし、文士が政治家であってはいかん、と云ってるわけではない。ゲーテはワイマールの宰相であったし、ビクトル・ユーゴーも総理大臣であったし、ずいぶん甘ったるい感傷小説の作者シャトオブリヤンのような人でも文部大臣をつとめていらッしゃった。前駐日大使ポール・クローデルはヴァレリイと並んでフランス詩壇の大御所であった。
しかし、文士が政治家でなければならぬわけもない。私は身の程をわきまえ、訪客にも会いたがらず、天下の政治については訊かれても返事をしない性分だから、その任にあらずということを心得ているのである。
人さまざまである。銘々が適したことをやればタクサン。
共産党という連中は特に誰かれ見さかいなく一席ぶちたがる人種で、それについてはキチガイめいた執念をもっている。そして、見知らぬ私に向っても、戦後の世相をどう思うか、とか、貴下の政見は? などと訊問したがる。つまり文化人というウヌボレ屋のヒマ人の中でも特別のウヌボレ屋の大ヒマ人で、自分の生活をもたないのが共産党になる。
批評家というのは、妙な商売だ。これ、商売かな? しかし、人の
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