い。
 選の狂いというものは、あるのが自然かも知れないが、戦後派賞のような、とんでもない狂い方というものは、あんまり頓狂すぎて、箸にも棒にもかかりやしない。芸術は一面に偏見でもあるが、さればといって、ホッテントットやブシュメン族を人間代表に、次席にアリアン族を選ぶというような当の失し方は許されるものではない。
 戦後派の連中は、若くして戦争や冷めたい現実にもみぬかれ、年に似ぬ大きな良識をそなえているかも知れぬと、私はひそかに買い被っていた。彼らの偏倚は外面だけの歪みで、内には大きな良識があるのだろうと期待をいだいていたのであった。
 まるで、もう、コチコチの文化人、ウヌボレ屋のヒマ人の、生活をもたない文化無頼漢である。
 いくら、なんでも、とにかく、大らかな心を忘れたもうな。自分の生活の中から、ハッキリした自分の言葉を選び、自分の言葉で物を言うことを覚えたまえ。
 私のところへ、ダンスしましょう、といって誘いにきた女子大学生は、まだしも、君らよりは大らかであろう。自分の生活も、もっているのだ。君らは自分の生活も持っていない。常に一席ぶちたがるけれども、ウヌボレ屋の大ヒマ人にすぎないので
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