ある。
芸術だけは、自由人のものでありたいと思う。芸術の世界でだけは、流派や徒党を失いたいものである。
もっと世間を怖れたまえ。庶民や市井人というものの、つつましい、無力ではあるが、地道に自分の生活をいとなむ人の、目や魂を怖れるがよい。
天下の政治を質問する大学の先生よりも、イヤア、どうも、ヘッヘッヘ、という市井人の方がはげしい批評をなしていることを知りたまえ。
こむずかしい屁理窟を知らない市井人は、自分たちだけの目で、ちゃんと三島由紀夫というものを認めている。君たちは屁理窟に通じ、屁理窟からの借り物の目で物を見て、自分の目で物を見ることを知っていない。つまり、生活人でなく、ヒマ人だからだ。
一席弁じようと心あせったり、世の中を啓蒙しようというような、ウヌボレ屋のヒマ人に、良識あるはずもなく、選者たるの資格もない。
私はグウタラで、ヒネクレ根性で、交際ギライの偏執狂であるが、しかし、私は、自分のつくすべき役割への責任を知り、人のために、自分でつくせる奉仕はつくしたいという心の正しい位置をつきとめている。そして交際ギライという殻の中から出はしないが、殻の中に隠れたままなしうる
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