選者に人を得ないのだ。人の作品の選をするということは、子供にはできない。戦後派などという特別の美の規準があるとでも考えているような子供の目で、大らかな芸術を正しく認定するようなことができるものではない。選者の多くは、例の文化人、ウヌボレ屋のヒマ人の、共産党又は批評家的なるもののたぐいであるから、なんの怖れも知らない。
責任をもって人を推す、選をする、ということは、省れば怖しいことでもある。
私は、しかし、それが人のために私のしてあげられる唯一のことだと覚悟をきめて、正しく責任をつくしたいと念じ、とにかく私は私情によって左右されない自分にいくらか恃《たの》みがあったので引きうけた。引きうけたからには、良いものを見のがすことがないように、もらった雑誌はガリ版ずりでも生原稿でも、事情の許すかぎり読むように努力しているのである。
コチコチの一方的な偏見でしか物が見られない少年やウヌボレ屋のヒマ人に、選などはできないものだ。自分の弟子や流派に私情をもつ人にも選者の資格はないと私は思う。芸術はもっと大らかな大きなもので、小さな自己への怖れを知る人でなくては、物の正しい姿を認定することはできな
前へ
次へ
全16ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング