は造れない大きなお堂をつくらないと、安心できなかった。あわれなミイラどもよ。
芸術は、こんな風にして、つくられる。いつも、他人を相手にして。俗悪千万な企業なのだ。晩年のドストエフスキーはそうでないとか、キリストはそうでない、ということはない。むしろ最も俗悪なのだ。最も多く万人を相手に企業した俗悪な魂がミイラになった姿にすぎない。
私はだんだん死ぬということが、なんでもないことに見えるようになってしまった。死にたい、というのではなくて、死にたいようなハリアイもないのである。私は、ねむるようにして、いつでも死ねる。ねむることと、死ぬこととが、もう実際にケジメが見えなくなってしまった。
けれども、そうなると、猛然として、俗悪な企業意慾も起るものである。ますますロマンチックにもなるし、ますます女が美しくも見える。私はミイラの心がわかってきた。ミイラの慾望が。
皆さんは、私がずいぶん粗食で、ほとんど美食に興味をもたないことを信じないかも知れない。又、ほとんど外出しないことも。
私はしかし家の一室に目を光らして、よしよし、末ながく生きてやるぞ、と思いをこらしている。松永弾正が城を枕の自害
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