六十万単位で充分だとのことであったが、ムリにたのんで、三百万単位ずつうってもらった。
 あの時は奇妙であった。私は二六時中、焦躁や不安にみちた幻覚に苦しめられたが、その一つが女房の血液のことだ。女房が南雲さんで血液検査をうけて陽性だったという幻覚なのである。幻覚というよりも、催眠薬で昏睡中にみた夢なのだ。夢で見てきたことが現実に経てきた事として自覚され、目がさめて、その続きを行う。夢と現実の区別を失っていたのである。
 その幻覚は、罪の意識と悔恨が主要なものであった。なぜだか、分らない。酒場へ、いくらでもない借金を払いに行っていたりした。文人らしい趣きがどこにも見当らないミミッチイ幻覚である。その一つが女房の血液のことだ。
 酒場の借金については過去に払いに行ってやりたいと思うことがあったが、女房の血液を病毒で濁らせたという悔恨で、それまで苦しんだことがあったか、どうか、どうも疑問だ。時々苦しんだことがあった気もする。しかし、ふと目がさめて、今の夢は前に何回も見たことがあった、ような気がする場合と同じ程度に茫漠として、捉えどころがない。
 私の女房は前夫との間に二人の子供がある。又、前
前へ 次へ
全23ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング