痛みが分ってくる。そして、いつも、眼が乾きすぎたためのような痛さがつきまとっている。砂漠の砂上に落ちた目だ。
ゆく春や 鳥啼き 魚の目に涙
芭蕉は何を見てこの句をつくったのだろう。これは、たしか、奥州の旅に立ってまもなく、よんだ句のようだが、旅日記を読むと、意味がハッキリする句だったかな? 私は温泉につかりながら、天城さんが持ってきて下さった洗眼器で、目に噴水の水をあてる。この時は、やや爽快である。疲れが、眼からだけでなく、頭全部からも、やや、ひいたように思われる。
「魚の目だ」
私は、そう考える。水にぬらしたからではなく、乾いて、風に吹きさらされて、ザラザラ痛いから魚の目なのだ。死んで、乾いた、魚の目。
「芭蕉の奴、乾物屋の店先で、シッポを荒縄でくくってブラ下げた塩鮭を見やがったのかも知れないな」
私は忘れていたのである。魚の目というのは、お魚の目の玉のことではなくて、足にできる腫物のような魚の目のことだろう。しかし、どうも、そう分ってみると面白くない。お魚の目の玉であってくれると、私の方にはピッタリするのであった。
女房は東京へ出かけて行った。
南雲さんの診断も同
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