法は実戦のために編みだされたもので、いわゆる御前試合流の遊び事ではなかったから、剣の心構えというものも実は甚だしく切迫していたものだ。したがって徳川以降の御前試合剣道とちがって昔の実戦用剣法は各流に残身などと称し、控え室を一歩でて立合の場へ一足はいればもう戦場、どの瞬間にどう打たれても打たれ損という心構えにできており、試合を終って礼を交して後もユダンができない。試合の場を完全に離れ去るまでは寸分の隙なく襲撃にそなえていなければならない心構えの定めがあったものである。婦人の使うナギナタにすらこの心構えのきびしい定めがあったものだ。
 法神流はむろんこの心構えが厳格だ。相手にユダンあれば挨拶前でもコツンとやる。房吉にしてみればそれが剣の定め、そのユダン、その不覚ぐらい未熟千万なものはないと思っているから、相手にユダンがあると、まことに人ごとながらもナサケなく、苦々しい気持になって、挨拶前でもコツンとやる。相手が怒って剣をとって打ってかかると、尚さらコツンと今度は念入りに一撃して、不浄の物を片づけたような切ない気持で引ッこんでしまう。相手の身になると、これぐらいシャクにさわることはない。され
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