は帰らないという留守の者の言葉だ。
「どこの温泉だ」
「それが私どもには分りません。先生は山中がわが家同然、今日は東にあるかと思えば明日は西にいるという御方で、しかもこの山中いたるところ温泉だらけですから」
「仕方がない。帰宅次第、伊之吉方へ出頭せしめよ。命にたがうと、斬りこむぞ」
追貝村の名主久五郎にも、房吉帰宅次第薗原村の伊之吉宅まで出頭せしめよという命令を伝えた。また人を雇って諸方に房吉の行方を探したところ、彼は川場の湯に湯治していることが判ったのである。
房吉が帰途についたという報をうけたので、一同は小遊峠に待ち伏せた。鉄砲組は物陰に伏せ、門弟十六名と峠の茶店で待ち構えていると、そこへ房吉が女房を同行してやってきた。孫七郎が進みでて、
「その方は房吉だな」
「左様です」
「余は江戸浅草に道場をひらく神道一心流の山崎孫七郎だ。門弟中沢伊之吉が大そう世話になったげな。一手勝負を所望いたす」
「いえ、めっそうな。私は未熟者。どうぞゴカンベン下さいまし」
「江戸表に於ての評判も心得ておる。ただの百姓とは思わぬ。その方の高名を慕って、わざわざ出向いて参った。用意いたせ」
茶店のオヤ
前へ
次へ
全25ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング