孫七郎につき、免許皆伝をうけた。故郷へ帰り、金にあかして大道場をつくり、天下第一の剣術使いのつもりで弟子をとって威張っていたが、近在一帯に法神流全盛で、伊之吉のところへ習いにくるのは小作したり借金したりの義理のある連中だけにすぎない。
 房吉が江戸を風靡して帰村したという評判が高く、伊之吉の存在なぞは益々太陽の前のロウソクぐらいにしか扱われないから、ついに堪りかねた。門弟をよび集めて、
「ちかごろは田舎者の世間知らずめが威張りくさって甚だ面白くない。法神流なぞというのは山猿相手の田舎剣術だ。江戸は将軍家のお膝元。天下の剣客の雲集するところ。気のきいた名人上手が山猿などを相手にするはずはない。その理由をさとらず、井の中の蛙、大言壮語して田舎者をたぶらかすとは憎い奴だ。道場破りを致すから、用意するがよい」
 正月に門弟をひきつれて房吉の道場を訪れ、対抗試合を申し入れたが、さて、やってみると、話にならない。伊之吉の門人は出ると負け、すべて一撃に打ち倒されて、師匠同士の対戦となったが、これも同前、ひとたまりもなかった。
 未熟者は身の程をわきまえない。相手を侮って不覚をとったと考え、日を改めてまた試合を申し込んで、これも惨敗に終ったのである。
「ウーム。残念千万だ。憎ッくい奴は房吉。是が非でも奴めを打ち倒さなくては気がすまないが、オレ一人ではダメらしいから、江戸の大先生に御援助をたのもう」
「それがよろしゅうございます。大先生にたのんで打ち殺してもらいましょう」
 使者がミヤゲ物を山とつんで江戸表へ立ち、山崎孫七郎の出馬を乞うた。
「法神流の房吉か」
「ヘエ、左様で」
「それは容易ならぬ相手だぞ。拙者は試合を致さなかったが、彼に立ち向って勝った者は江戸にはおらぬ」
「それは本当の話で」
「ま。仕方がない。伊之吉の頼みとあれば聞き入れてつかわすが、薗原村に鉄砲はあるか」
「それはもう山中は野良同様に猟が商売ですから、鉄砲はどこの家にもあります」
「それならば安心だ」
 腕のたつ高弟十数名をひきつれて伊之吉のもとに到着した。剣のほかに弓、槍、ナギナタに腕のたつ者を選んでつれてきたのであるが、伊之吉方からは鉄砲に熟練の者十数名を選び集めて合計三十余名、これだけの人数で房吉を討ちとる策をたてた。
 房吉の家を訪れて試合を申しこんだところが、当日房吉は女房同行で湯治にでており、尚当分は帰らないという留守の者の言葉だ。
「どこの温泉だ」
「それが私どもには分りません。先生は山中がわが家同然、今日は東にあるかと思えば明日は西にいるという御方で、しかもこの山中いたるところ温泉だらけですから」
「仕方がない。帰宅次第、伊之吉方へ出頭せしめよ。命にたがうと、斬りこむぞ」
 追貝村の名主久五郎にも、房吉帰宅次第薗原村の伊之吉宅まで出頭せしめよという命令を伝えた。また人を雇って諸方に房吉の行方を探したところ、彼は川場の湯に湯治していることが判ったのである。
 房吉が帰途についたという報をうけたので、一同は小遊峠に待ち伏せた。鉄砲組は物陰に伏せ、門弟十六名と峠の茶店で待ち構えていると、そこへ房吉が女房を同行してやってきた。孫七郎が進みでて、
「その方は房吉だな」
「左様です」
「余は江戸浅草に道場をひらく神道一心流の山崎孫七郎だ。門弟中沢伊之吉が大そう世話になったげな。一手勝負を所望いたす」
「いえ、めっそうな。私は未熟者。どうぞゴカンベン下さいまし」
「江戸表に於ての評判も心得ておる。ただの百姓とは思わぬ。その方の高名を慕って、わざわざ出向いて参った。用意いたせ」
 茶店のオヤジ、これも法神の門弟だ。この山中で茶店をひらくからには、腕もたち、よく落着いた人物で、腰低く進みでて、
「武芸者が勝負を所望するにフシギはございませんが、ごらんのように相手はただいま湯治から帰宅の途中。おまけに女房まで連れております。いろいろ申し残すこともありましょう。後々までの語り草にも、日を定めてやりましたなら、一そうよろしいようで」
「房吉は逃げはすまいな」
「はばかりながら法神大先生の没後、法神流何千の門弟を束ねる房吉先生です。定法通りの申込みをうけた立合いに逃げをうつようでは、第一法神流の名が立ちません。私も法神流の末席を汚す一人、流派の名にかけても、立ち合っていただきます」
 房吉先生も覚悟をきめた。法神先生の眠るこの土地で勝負を所望されて逃げるようでは地下の先生にも申訳が立たない。敵は卑劣な策を弄してまでも勝をあせっている様子、それを承知で立ち合うのも大人げないようではあるが、所詮剣をひいてくれる見込みのない相手のようだ。こういう相手に対しては結着をつける以外に仕方がない。そこで心を定め、
「茶店の主人の申す通り、定法にのっとり、日時を定めての上ならば御所望通り試合に及び
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