貌面影に就ては殆ど何も残つてゐない。ただ、今川へ人質に送られる途中、織田家の者に奪ひとられ、その彼自身を種にして織田から徳川へ一味をせまつたとき、子供ぐらゐ勝手にするがいいさ、同盟は破られぬ、とキッパリ答へてきたといふ父、これぐらゐハッキリと記憶に残つてゐる父はないのである。殺されるべき六歳の家康は殺されもせず、むしろ鄭重に育てられた。それは今川家に於けるお寺暮しの八年間よりもむしろもてなされ、いたはられたほどで、したがつて家康の織田に対する記憶は元来悪くない。しかしながら、幼少年期の数奇な運命を規定した一つの原理、原理といふ言葉は異様な用法に見えるかも知れないけれども、幼少の家康にとつて、それは恰《あたか》も原理の如きものであつたと思はれる。なぜなら少年にとつては最も強烈な印象、強烈な信仰が原理なのであり、それは家康にとつて最も強烈な印象であり信仰に外ならなかつたからである。
その原理とは、父は自分をすてても同盟に忠実であつた、といふ正義である。家康はその正義を信仰し、その父を心中ひそかに英雄化してはぐくんだ。父は自分をすてたにも拘らず、自分はむしろ織田の厚遇を受けた、そのことすら
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