臓が止まりかけているのである。必死の勇をこらして、呆然と女を見つめた。
 女は怒って叫んだ。
「何を召上るんですか!」
 女給だったのである。先生はホッとすると、あとはもう後続する智慧が浮かばず、
「アレ」
 と、一言、向うのテーブルで御婦人組の召上りつゝあるものを指さすだけが精一パイであった。
 女は黙って立ったが、やがて、ドンブリを持ってきて、投げすてるように置いて行った。
 先生はムサボリ食った。まずくはない。然し、シカとは分らない。昔の記憶と比較するには、昔の記憶が遠ざかりすぎているようである。昔なら、なんという食べ物に当るのだか、五目支那ソバ、というのかも知れぬ。ユデタマゴの一キレがある。イカがある。キャベツもある。先生は慌てゝいたので、コショーをふりかけるのを忘れたが、食べ終ってから、テーブルの上に薬味のあることにも気付いたのである。
 先生の心は戦かった。もう一パイ食べるために女給をよばねばならぬ。然し、女給はお客よりもお客らしく、自分たちのテーブルでキャア/\さゞめいているのである。
 まったく、分らないのはムリがない。先生とても、毎日街を歩くから、女の服装について知っ
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