と書いて持ちこんだところで、メッタに買い手が有りやしない。それを心得ているから、先生は売りこみにムリなアガキをしないだけだが、それをアキ子はカイ性なしの敗残者だと云うのであった。
 アキ子も自分の持ち物を売って金にした。然しそれは一家の生計のためではなしに、自分の遊び歩きのためで、二人の子供にミカンやアメダマを買ってやることすらも、稀れにしかなかった。
 先生は大学生を咒《のろ》った。先生は栄養失調の気味であったが、教室で見る大学生はみんなマルマルとして血色がよく、年中タバコをすっていた。先生は一ヶ月の何日もタバコに有りついていないのだ。
 先生の青春は貧困であった。あのころの人々は概ね青春は貧困なものであった。物は有ったが、買う金がなかったからだ。大学を卒業しても、大方は就職の口がなく、要するに高等浮浪児であり、浮浪児なみにナリフリかまわず横行カッポできないだけ、惨澹たる経営に浮身をやつしたものであった。
 今の大学生は働く意志があって働けないなどゝいうことに就ては考えてもみることも知らないのである。昔の大学生は家庭教師をしたり、新聞配達をしたり、大いに深刻に労働して零細な学資をかせいだが、今の大学生は深刻なる労働などは却ってお金にならないことを知っている。南京豆とかライターとか、ノートブックとか道路に並べてボンヤリしていると金になる。靴を磨いても金になる。ダンスを教えても、ラッパを吹いても、コーヒーを売っても金になる。タバコを売っても金になるし、右から左へ誰かの品物を動かしてやっても金になる。買いだしに行っても金になる。先生が一ヶ月に貰う金を、ウスボンヤリと、たった一日で稼いでいるのだ。
 青春の空白などゝは大嘘である。アベコベなのである。配給では足りないと云って彼らは大見栄をきるけれども、物が有りあまっていても買う金がなく、その金を得るために働きたくとも働く口がなかったなどゝいう時代について省みるところがない。
 昔はヤミ屋という言葉はなかった。米を買いだしてきて裏口を廻ったところで、誰も鼻をひっかけない。失業者、貧民は巷にゴロゴロしていたが、貧民を救え、失業者に職を与えよ、そんな当り前のことを云っても豚箱にブチこまれる有様であった。
 インフレというものは、むしろ痴呆的に、暮らしやすい時代である。その痴呆的な時代にすむ大学生は、身は学究の徒でありながら時代の痴呆性をさとらず、現実に安住して、王者の如くに横行カッポし、太平楽で、身の程を知らない。
 先生とかゝわりのある文科の学生は特別太平楽なのかも知れないが、常にタバコのケムリを絶やさず、ダンスをやり、泥酔し、学問は怠け、学業はそっちのけに怪しげな学生劇を興行して、酒手を稼いでいる。
 そのことに就いて学生どもに訓戒の一席を弁じると、
「先生、ひがんでますね。先生も、ちょいともうけりゃ、いゝんじゃないかな」
 と、ニヤニヤする。あげくに、なれなれしく先生の自宅を訪問して、
「先生、ヤミ稼ぎの一口、ゆずってあげましょうか。アリャ、先生、ずいぶん、物持ちだなア。タンスもあるし、鏡台もテーブルもあるよ。これだけ売りゃ、大ヤミの資本にもなるもの、先生、出資してくれないかなア。僕たち、何もないですよ。みんな資本に廻したのです。キタキリ雀、教科書も参考書も万年筆もないんです」
 するとアキ子が喜びハリキッて、のさばりでて、
「そうよ、そうよ。当節ヤミ屋をやらなくって、どうするのよ。買う物がヤミ値ですもの。お金もヤミでもうけなくって、どうするのよ。あなたのキモノはまだタクサンあるじゃないの。本もあるしモーニングもあるでしょう。見栄坊の売り惜しみ屋だから、まだ相当のものがあるのよ。今どき礼装なんかいらないし、本だって焼けたと思えばいゝことよ。焼きもせず、本なんか持っているから、ヤミ屋にもなれないのよ」
 学生どもはパチパチ拍手して、
「そうですよ。そうですよ。奥さんは偉いな。僕は奥さん、気に入ったな。奥さんは、女社長だなア。敏腕家ですねえ」
 そして、ちかごろの学生は、うれしがると、だらしなく相好くずして、ゲタゲタとバカのように笑いだすのである。
 これからは、もう、先生などは黙殺して、もっぱらアキ子と交歓し、
「僕たちの芝居を見て下さい。パーティに来て下さい。アレ、ダンスできないんですか。ひらけないなア。そんな女社長ないですよ」
 アキ子は鼻をピクピクさせて、よろこび、約束の日に鼻の頭に粉オシロイをペタペタたゝきつけ、タケノコで資金を作って、でかける。御帰館以後は、クイック、クイック、スローなど夢中に埃を立てまわり、
「ねえ、ちょいと、私、とても子持ちの奥さんに見えないんですってさ。二十二でしょう、なんて、アラ、はずかしい」
 キャッ、と叫んで、ひとりで顔をあからめている。
 そして
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