そのために、もはや、敢て呼びかける勇気を失うのであるが、さればと云って、彼女らのサザメキのとぎれ目がないのであるから、どうしても覚悟をかためて、やりとげなければならないのである。
「スミマセン」
先生は必死に叫んだ。三人の女給は一時に怒った顔をふりむけた。先生はそれをグッと受けとめた。眼をつぶるワケにも行かぬ。一目散に逃げだすワケにも行かぬ。泣きだすワケにも行かないのである。六ツのきびしい視線に対して、返答しなければならないのである。
「オ代リを下さいませんか」
女たちは何だ、という軽蔑しきった顔をした。そして、今までよりもケタタマシク額を集めたり、やにわにノケゾッて哄笑したり、傍若無人のフルマイをはねちらすのだ。その一々が先生に対する軽蔑としか思われず、こんな思いをするぐらいなら、もう一生涯、料理屋の門をくゞるまい。自分はもう現代の落伍者なのだ、乞食も浮浪児も、配給なしに料理屋の料理を食って暮しているというのに、自分は一体、何者なのだろう。すべてに見すてられた、という激しい気持にならざるを得ないのである。
女は再びドンブリを投げすてゝ行った。その報復として、舌をかみ切って死んで見せることも出来ないばかりか、待ちかねたようにムサボリつく自分の姿のみすぼらしさに、先生は、堪りかねて涙ぐんだ。幸いコショーがきいてどっちの涙だか分らない様子になることができて、いくらか切なさをまぎらすことができたが、こんな羞しい思いをして再びイクラデスかなどゝ呼びかけるぐらいなら、食い逃げの悪党を気取って、黙って悠々と店を出て、泥棒と呼ぶ三人の女に襟首をつかまえられて、セセラ笑って――それから、どうなるか、どうなってもいゝ、それぐらいの激しい汚辱に立ち向いたい、そこまで空想すると感きわまり、嗚咽をおさえることができなくなった。
そこへ五人づれの大学生がドヤ/″\とはいってきた。それを見ると三人の女はにわかに生き生きと立ち上って、イラッシャイとか、どうしたの、とか、昔の記憶にも確かに在ったと同様のお客と女給の言葉が交換されるのであった。
先生はそれに就て感傷をめぐらす余裕はなかった。好機逸すべからず、と立ち上って、オ勘定とよぶ。
すると女は、先生の方をふりむく時には打って変って怒りの像となり、睨みすくめて、二百円を持ち去り、六十円のオツリを持参して、つき出した。
女が二百円を握ってふりむいたとき、オツリはいらないよ、などゝそんな言葉を咽喉《のど》に出す軽快な早業は有りうる由もないけれども、ふりむいて逃げ去ることはできた筈であった。然し、思い惑っているうちに、女は戻ってきて、オツリを突き出す。ソレは、チップです、などと今更云うわけに行かない。
先生は自分のリンショクに混乱した。先生は貧しかったが、リンショクだとは思いたくなかったのである。けれども、現にケチではないか。もとより意地のわるい彼女らに分らぬ道理はなく、軽蔑しきっているに相違ない。けれども先生がそのツリを受け取るまでは、思いきって振りむくことによって、チップをはずむチャンスはある筈である。そのことに気付くと、振りむく代りに、先生の手はワナ/\ふるえて、お金の方へのびようとする、惜しいのだ。こゝまできては、ふりむかれぬ。この期《ご》に及んでオツリの中からチップをとりわけて差出すことは益々もって嘲笑されるばかりであるから、もはやヤケクソの意気ごみでオツリを受け取ってしまうと、とたんに、思わず、
「アリガトウ」
と呟いているではないか。先生は羞しさに失心した。
先生はフラフラと街を泳ぎ、電柱を見れば、電柱に頭を打ち砕いて死にたいと思い、そのくせ夢中に自転車をよけているアサマシサに恥の限りを感じた。
先生は料理店へ帽子を忘れてきたことに気付いたが、もとよりそれを取りに戻ることなどの出来うるものではなかった。
★
先生は大学生がキライであった。然し、大学で生徒にものを教える先生であった。
先生が覚悟をかためて支那ソバ屋の戸口をくゞったのも、もとはと云えば、大学生に対する反感と憎しみのせいなのである。
先生の給料は六百五十円であった。稀れに雑誌社から十枚二十枚の寄稿をたのまれることがある。すると給料と同額ぐらいの稿料を貰うけれども、毎月というわけではなく、毎月にしたところで、合せて、お茶汲みの女給仕に及ばない金額であった。
だから先生の生活はもっぱらタケノコに依存しており、キモノを売り、タンスを売り、細々と生きる。
先生の家族は、先生の母と二人の子供と女房アキ子の五人暮しであった。
アキ子は亭主を徹底的にカイ性なしの敗残者と思っていた。原稿を書けば売れるのだからセッセと書いて稼ぎなさい、とすすめるのである。脅迫の見幕であった。然し、先生の原稿はセッセ
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