のです。ゆるして下さい」
病人は至って無表情であった。先生の頭はすでに錯乱していたのである。先生の頭に、どういう幻想が起ったのか、誰にも分らない。
然し、先生は手を握る一人の女を意識したことは、たしかであった。そして、先生は、はげしくもとめ、にじりよる様子であった。
先生の腕は女の首をかゝえた。すると、にわかに狂気の激情がひらめいた。先生は女の首をひきよせ、接吻しようと唇をさがした。
女はキャッと小さく叫んで顔をそむけたが、つゞいて先生の一方の手が、執拗なうごめきで女の腰を上下し、やがてそれが股間へのびて行くことを知ると、女は先生の意志をさとって、キャーという爆発的な悲鳴をあげて身をひいた。然し、女の首にまきついた先生の腕の力は必死であった。先生は女の悲鳴にひきずられて、ズルズルとのびたが、まきつけた腕は放さなかった。
先生は尚も女をひきよせようと焦った。二人の力の平衡によって、力のこもった、然し妙な静止状態がしばらくつゞいた。
先生の口から、ウン、という呻きがもれた。そして、それが最後であった。次第に先生の力がゆるんだ。そして、先生は、死んでいた。
先生の腕をほぐして首をぬいた女はみんなを見廻した。怒っていた。
「なぜ、だまって、見ているのよ。私を見世物にしたわけね」
「そうじゃないよ。ホラ、見ろよ。僕たち、みんな立上っているじゃないか。どうしていゝか、わからなかったんだ。だって、見ろよ。先生はもう死んだんだぜ」
「ウソよ。あのバカ力で、にわかに死ぬものですか」
「だって、動かなくなったじゃないか」
五人は黙って先生を見つめた。先生はたしかに死んでいた。
女はビックリした様子であったが、怒りは消えていなかった。
「この人は、バカ、キチガイよ。死ぬまぎわに、あんなことをするなんて、カイビャク以来、きいたタメシがありゃしない」
みんな、しばらく重々しく、だまっていた。も一人のパンパンが自嘲をこめて云った。それは、いくらか、死者をいたわる恐怖と礼節もあるようだった。
「そうでも、ないのさ。たゞ、この人は、あんたにお金を握らせるのを、忘れたゞけなのよ」
三人の男は顔を見合せて、ウン、その通りだ、というような、物分りのよい顔付をつくって、見せ合った。もう、帰りたくなった女なのである。そして、彼等は、その顔付によってお互の心を察し、無言にどやどやと立去っ
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