、現在と過去との関係が全然一般の時間的区別と異つてゐることに注意すれば、やゝ明となる。
 しかし此処に問題となることは、此の如き質的相違(主と客といふ)に対して「時間的」な過去現在といふ文字を当てはめてよいかどうかといふことであらう。しかし本論三節に於て説明した如く、力は全てに先立つ意味に於て過去といひ現在といつて誤のないことは確信する。結局、かゝる空間的事物を時間的に規定することは誤解をまねき易いといふだけのことゝ思ふ。例へば「未来は過去である」といふことは首肯し難い。しかし前来述べてきたところは「意識の対象を過去といふ。未来は意識の対象である。故に未来は過去である」といふことに外ならぬ。あくまで我々は「意識内容」としての「未来についての観念」以外に未来を予想することは許されない。この一見、矛盾に似た論述、即ち未来は過去なりとし、かつ現在と過去のみが存在すべしといふことは、さらに之を明にする為に、過去といふ名義を取り除けば、判然すると思ふ。何とならば「ハタラカレタルモノ」即ち「意識の対象」を強ひて「過去」と名《なづ》ける必要はさらにない。一応「意識の力」の唯一なはたらき[#「はたらき
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