附けた内容は全て過去と云ふことも出来る。故に一節に於ける如く、かつて意識のあつた世界は過去であると云ひ得る。
又「意識しつゝある力」は常に現在を持して動きつゝある。従て如何なる意識の対象或は意識内容を以てしても、全てこれを現在たらしめんとする時には現在を過ぎて居る。全て意識せらるゝものは、所謂「シツツアル力」に対して「セラレタルモノ」だけの価を有するに止る。此の如くにして、「セラレタルモノ」は「セラレタル瞬間」に於て「シツヽアル力」の後に取り残されるに止る。あたかも「アキレスと亀」の詭弁が詭弁ならざる真理として永遠に「シツツアル力」の亀を先登《せんとう》に立てゝ進みつゝある。結局此の如き考察に於て、全て、「意識の対象」は「意識しつゝある力」の先に立つことは許し難い。故に全て「意識の対象」は「意識しつゝある力」の過去である。
四、未来に就て
前節の如き考察に於ては、明に時間特に過去は一切空間世界を意味する。しかし此の如きことは果して許さるべきであらうか。例へば上述の結論に於ては我々は「意識の対象」に未来を託すことが出来ない。此は明に誤りではないか。
しかし是は「始に時間を
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