」に傍点]を説明する為に之を現在とし、対象を過去なりと説明した以上は、むしろ最後に於て「全て誤解をさける為めに」、さらに現在、過去の名称を破し去るを至当とする。のみならず前述の如く「力自身には決して過去はない。力は常に現在である」又「対象自身に現在はない。対象は常に過去である」と云ふことは明に「過去」といひ「現在」といふも便宜上の名称にすぎないことを表してゐる。何者、過去とならぬ「現在」ならば結局現在と過去は質的に相違がある。現在が過去に移り変《かわっ》てこそ過去現在未来とも云ひ得るが「永遠に過去とならぬ現在」「現在とならぬ過去」はむしろ過去でなく現在でない。只単に「力」と「対象」と云つた方が誤解をさける上に於てはるかに有利である。
従て「意識スル力」と意識の対象の外は何者もなく、意識する力は永遠に先に立ち[#「先に立ち」に傍点]意識対象は永遠に後に従ふ[#「後に従ふ」に傍点]といふことに過ぎない。「先に立つ」故に云ひ得べくんば「現在」であり「後に従ふ」故に云ひ得べくんば過去であるといふことである。
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已去無[#レ]有[#レ]去 未去亦無[#レ]去
離[#二]已去未去[#一] 去時亦無[#レ]去 (中論、観去来品)
後記
これは龍樹の中論、特にその観去来品に感銘を受けて、久しく漠然と体験してゐたことを書き現してみたものであります。期日が切迫し再三思索の余暇が無かつたことは、かなりなさけなく思つておりますが、たとへ如何様に時日がありましても、若年の私にまとまつた思索の出来る訳がありません。恐らく独断や誤謬にみちたものとは思ひますが、諸兄の叱正によつて正しい哲学の燈をうれば無上の幸です。そのためには噴飯の資になることも快く甘じて受けたく思ひます。
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底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「涅槃 第一巻第二号」原典研究会
1927(昭和2)年3月1日
初出:「涅槃 第一巻第二号」原典研究会
1927(昭和2)年3月1日
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2009年4月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://
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