あるときの落胆の暗さは、せつない。二度と立ち上る日を予期できないほど、打ちのめされ、絶望に沈まざるを得なかつた。
その落胆と焦躁は、文学と絶縁せずにゐられぬ思ひに、人を駆り立てるものである。そのうへ病気で、正当な野心を育てる大精神は、滅入り、くさる一方であつた。
暫く碁に心魂を打ちこんで、落胆を洗濯することにした。
噂にきくと、同じ伏見深草に、島といふ強い二段がゐるといふ話であつた。関さんを使者に立てゝ依頼すると、この二段は気軽に出張を快諾した。
寝ては夢、起きてはうつつ、といふ文句は、この時だつた。目を覚ます。とたんに僕の頭の中に碁盤がある。すでに石立がひとりで動きはじめてゐる。
昼は一日書物を睨んで定石を暗《そら》んじ、夜は碁会所に現はれて、忽ち実戦に応用する、といふ熱中ぶりだ。三ヶ月間つづいた。碁の定石と、外国語の文法は、同じ程度の学力によつて習得できるものである。
久方ぶりに姿を現したちぬの[#「ちぬの」に傍点]浦孤舟師匠を忽ち互先まで打ち込んだときは、ために碁会所も鳴動するばかりの拍手大喝采であつた。うちの先生は強いもんや、と云ふことになり、師匠はその日から最も熱
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