は、然し、お客の相手がつとまらない。毎日ひつぱり出されて大いに悩むのが、僕である。ところが奇妙な風説が立つて、忽ちお客が減りだした。

      (二)[#「(二)」は縦中横]

 食堂の親爺は僕のことを先生とよぶ。この親爺人の姓名を記憶する能力が先天的に不足してゐて、お客の名前を年中とんちんかんに呼び違へ、諦らめて、蔭では符諜で呼ぶことにしてゐる。僕の如く敝衣褞袍《へいいおんぽう》を身にまとひ、毛髪蓬々、肩に風を切つて歩く人種を、京都では一列一体に絵師さんと呼び、さてこそ先生である。親爺は僕を見た時から、先生で、始めから名前を覚える労力を省略したのである。僕宛の速達が来るたびに、エエと、聞いたことのない名前や、と考へ込む始末であつた。
 そこで碁会所の連中も、みんな僕を先生とよぶ。僕が愈々京都を去るとき、碁会所の連中、鶏を数羽つぶして盛大な送別会を開いた。席上、ときに先生のお名前は、と改まつてきかれたほどで、一年間見事に先生だけで通用してしまつたのである。
 みんな先生と呼ぶものだから、僕が碁を打つてゐると、知らないお客は僕を碁の先生とまちがへる。知らないお客は大概僕より強いから、
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