得ぬ。
青春は力の時期であるから、同時に死の激しさと密着してゐる時期なのだ。人生の迷路は解きがたい。それは魂の迷路であるが、その迷路も死が我々に与へたものだ。矛盾撞着、もつれた糸、すべて死が母胎であり、ふるさとでもある人生の愛すべく、又、なつかしい綾ではないか。
私の青春は暗かつた。私は死に就て考へざるを得なかつたが、直接死に就て思ふことが、私の青春を暗くしてゐたのではなかつた筈だ。青春自体が死の翳だから。
私は野心に燃えてゐた。肉体は健康だつた。私の野性は、いつも友人達を悩ましたものだ。なぜなら、友人達は概ね病弱で、ひよわであつたから。
葛巻はカリヱスだつた。胸のレントゲン写真を私に見せ、自分も頬杖をついて眺めてをり、どう? ちよつと、いやね、と言ふ。クスリと大人のやうな笑ひ方をする。そして、君は健康だねえ、と言ふ。私はまつたく健康だつた。然し健康な肉体、健康な魂ほど、より大きな度合ひをもつて、死にあやつられてゐるものだ。
私はまつたく野心のために疲れてゐた。
その野心は、たゞ、有名になりたい、といふことであつた。ところが私は、たゞ有名になりたいと焦るばかりで、何を書くべきか、書かねばならぬか、真実、わが胸を切りひらいても人に語らねばならぬといふ言葉をもたない。野心に相応して、盲目的な自信がある。すると、語るべき言葉の欠如に相応して、無限の落下を見るのみの失意がある。
その失意は、私にいつも「逃げたい心」を感じさせた。私は落伍者にあこがれたものだ。屋根裏の哲学者。巴里《パリ》の袋小路のどん底の料理屋のオヤヂの哲学者ボンボン氏。人形に惚れる大学生。私は巴里へ行きたいと思つてゐた。私の母も私を巴里へやりたい意向をもつてゐたが、私は然し、暗い予感があつて、巴里の屋根裏で首をくゝつて死ぬやうな、なぜか、その予感から逃れることができなかつたので、積極的に巴里行を申しでる気持にもならなかつたのだ。思へば落伍者へのあこがれは、健康な心の所産であるかも知れぬ。なぜなら、野心の裏側なのだから。
さういふ一日、私は友人にも、母にも、すべてに隠して、ひそかに就職にでかけて行つた。神田のさるカフェーで支配人を求めてゐた。カフェーの名は忘れたが、私は新聞広告を見て意を決した。誰の目にも一番くだらなさうな職業だから、意を決したのだ。
私はその日をハッキリ覚えてゐる。昭和五年、五月、五日であつた。私は省線に乗つた。切符の日附のスタンプが5,5,5,と三つ並んでゐたので、忘れることができないのだ。
私は酒をのまなかつたから、カフェーなどといふものへ這入つたことはなかつた。二度か三度、人に誘はれて小さなバーへ這入つたことはあつたと思ふが、こんな大カフェーは始めてゞ、然し午前中のことだから、人の姿は一人もない。何とも陰鬱、邪悪、強慾そのものゝ五十ぐらゐの主人であつた。蛇の感じで、地べたを這つてすりよる感じ、細い目が底光りをたゝへてゐる。きゝとれぬやうな低いしやがれ声で話しかけ、私の目をうかゞつてゐる。
支配人といふのは、このカフェーの支配人のことではない、と言ふのだ。当分はこのカフェーの支配人だが、自分の目的はホテルの経営にあるのだから、やがてはホテルの支配人で、ホテルとそこに所属するバー、それが理想である、と言ふ。
観光事業に趣味があるか、ときくから、口から出まかせに、ある、と答へると、では抱負があるか、述べてみよ、と言ふ。考へてみたこともないのだからこれには全く閉口して、仕方がないから白状に及んだ。
私はホテルの支配人に出世する意志はないのである。私はカフェーの支配人が望みであつた。タキシードかなんか着て(ボンボン先生はたしか年中エンビ服だか礼装してゐた)酔つ払ひの騒音の中で、松だかモミだか鉢植ゑの植物かなんかの彼方に、間抜け面でいとも厳粛に注意を怠らぬ顔付をしてゐる。誰が見ても、誰よりも馬鹿だ。こんな気のきかないヌカラヌ顔付といふものは人に具はる天性があつて、誰にもできるといふものでなく、私にはしごく向いてゐるのだ。私はひそかに自信をいだいて出向いてきたので、そこには少なからぬ抱負もある。抱負は何ぞや。
「私は虫歯が痛むときに、痛いと言へないこの商売が気に入つてゐるのです。会社につとめてゐるでせう。課長が私をよびつけて、君は朝から仏頂面をしてゐるぢやないか、何か不平があるのか、言ひ給へ、と怒鳴ります。すると私は、実は虫歯が痛いのです、と蚊の鳴くやうな声をだします。私は実際虫歯が持病で、この痛さには泣いてゐるのです。私は我慢がないから泣き面をします。然しです。カフェーでは私が泣き面をしても、課長みたいに仏頂面を気にかけるお客はありませんよ。常に黙殺され、無視され、バカのバカですから、私は虫歯が痛くても、痛くない顔付をして、心ひそかに悲しむのみです。だから、天分があるのです。私は虫歯が痛くても、このカフェーの鉢植ゑの植物の彼方に立つ限り、植物よりも無自覚に、虫歯の痛みをこらへてゐることができます」
彼はウハ目でチラと見上げただけだつた。如何なる感情も見せない水のやうな冷気であつた。
「どうすれば、店が繁昌すると思ふね」
私は全然ダメだつた。私は私とこの職業を結びつける雰囲気的な抱負にだけ固執して、一晩まんじりともせず、私自身を納得させる虫歯の哲理に溺れてゐた。店を繁昌させる秘訣に就ては考へてゐなかつたのだ。私は手ぬかりに気がついた。彼が私に求めることは、私が虫歯をこらへることではなく、店を繁昌させる秘訣であつたにきまつてゐる。
「美人ばかり集めることです。きまつてますよ」
と、仕方がないので、私は大威張りで答へた。私が威張つたのは、真理の威厳のために、であるが、彼は冷やかにうなづいて、
「それはきまつてゐる」
私は狼狽して、まつたく、のぼせてしまつた。私はその任にあらざることを自覚したから、履歴書を返してくれ、とたのんだ。彼はそれが当然だといはぬばかりに履歴書を返してくれたが、自分のもとめてゐるのはホテルの支配人たるべき人材で、カフェーの支配人などはとるにも足らぬ仕事だ、といふ意味のことを述べ、ホテルの経営はむつかしいものだ、とつけ加へた。それは私の軽率を咎めてゐるやうでもなく、彼自身の大きな抱負がおのづともれた一語であつたかも知れない。彼は目的を果したらうか。大いに成功したやうな気が私はするのだが、私はその後、当分の間、この男の幻影に圧倒されてゐた。それは彼が最後に至るまで水の如く無感情で、私に対して蔑むとか説教するとか、さういふ態度がなかつたせゐであつた。つまり私が自らの軽率、ひとりよがりの独り相撲に呆れ、嘆いてゐたせゐだ。
ところで私が家人にも友人にも内密にこのやうな就職にでかけた心事がどのやうなものであつたかといへば、たゞ、暗く、せつなかつたといふ一語につきる。このやうにしか生きられぬ私なのか、といふ嘆きであつた。落伍者気どりの軽快な洒落心などはなかつたものだ。
陰鬱、邪悪、冷酷な面魂の主人を見たそのとき、私が彼の人相に特別暗く身ぶるひしたのも、私が私を突き落さうとする現実の暗さの影を見たからだ。
青春は絶望する。なぜなら大きな希望がある。少年の希望は自在で、王者にも天才にも自ら化して夢と現実の区別がないが、青春の希望の裏には、限定された自我がある。わが力量の限界に自覚があり、希望に足場が失はれてゐる。
これもそのころの話だ。私は長島と九段の祭で、サーカスを見た。裸馬の曲乗りで、四五人の少女がくるくる乗り廻るうちに、一人の少女が落馬した。馬の片脚が顔にふれた。たゞ、それだけのことであつた。少女の顔は鮮血に色どられてゐた。驚くべき多量の鮮血。一人の男衆が駈けよりざま、介抱といふ態度でなし、手を掴んで、ひつぱり起した。馬の曲乗りは尚くるくる廻つてゐるから、その手荒さが自然のものでもあつた。少女は引き起されて立上り、少しよろめいたゞけで、幕の裏へ駈けこんだが、その顔いつぱいの鮮血は観衆に呻きのどよめきを起したものだ。然し一座の人々の顔は、いたはりでなしに、未熟に対する怒りであつた。少女の顔にも、未熟に対する自責の苦痛が、傷の苦痛に越えてゐる険しさだつた。
無情も、このときは、清潔だつた。落馬する。馬の片脚が顔にふれる。実に、なんでもない一瞬だつた。怪我などは考へられもしないやうな、すぎ去る影のやうなたわいもない一瞬にすぎないのだから、顔一面にふきだしてゐる鮮血は、まるでそれもなんでもない赤い色にすぎないやうな気がしたものだ。
美しい少女ではなかつた。然し鮮血の下の自責に対する苦悶の恐怖は私の心を歎賞で氷らせたものであつた。引き起され立ち上つてよろめいて、すぐ駈けこんだ、それを取りまく彼方此方の一座の者の怒りの目、私は絶美に酔つた。
私達は小屋をでて、小屋の裏側へ廻つてみた。楽屋の口らしい天幕の隙間から、座頭らしいのが出てくるのを見たので、私の心は急にきまつた。私は近づいて、お辞儀して、座頭ですか、ときくと、さうだ、と答へた。
私はどもりながら頼んでゐた。私を一座に入れてくれといふことを。私にできることは脚本と、全体の構成、演出だが、その他の雑用に使はれても構はないとつけたした。
私の身なりは、さういふことを申しでる男の例と違つてゐたからに相違ない。私はそのころはハイカラで身だしなみが良かつたのである。彼は訝るといふよりも、むしろ、けはしく私を睨んでゐた。そして何を、と言ふやうに、たゞ二つ三つ捨てるやうにうなづいて、一言も答へず、歩き去つてしまつた。
私はまつたく狐につまゝれたやうな馬鹿げた気持であつた。むしろ不快がこみあげてゐた。なぜ私がサーカスの一行に加はりたいと思つたか、私は然し、加はる気などはなかつたのだ。たゞ、そんなことを申しでてみたかつたゞけなのだ。
血まみれの少女の顔が私にさうさせたわけでもない。私は多少は感動した。然し、大きな感動ではなかつた。大きな感動にまで意識的に持つて行つたゞけのことだ。
その上、困つたことには、長島に見せるための芝居気まで有つたと私は思ふ。すくなくとも、喋りだしてのちは、長島といふ見物人をしつこく意識してゐた。
然し、やつぱり、青春の暗さ、そのやみがたい悲しさもあつたのだらう。
「君は虚無だよ」
長島の呟きは切なげだつた。彼は私をいたはつてゐたのだ。彼の顔はさびしげだつた。愚行を敢てした者が彼自身であるやうな、影のうすい、自嘲にゆがめられた顔だ。
それは自嘲であつたと今私は思ふ。
彼は私の前で、又、他の同人に向つても、女に就て語つたことがない。如何なる美女にふりむく素振りもなかつた。ところが、私は彼の死後、彼の妹、彼の家庭的な友人などから、はからざる話をきかされた。彼は常に女を追うてゐたのである。宿屋へ泊れば女中を口説き、女中部屋へ夜這ひに行き、いつも成功してゐたといふ。彼は貴公子の風貌だつた。喫茶店の女に惚れ、顔一面ホータイをまき、腕にもホータイをまいて胸に吊り、片足にもホータイをまいてビッコをひき、杖にすがつて連日女を口説きにでかけたといふ。
「助平は私たちの血よ」
お通夜の席で、彼の妹が呟いた。自嘲の寒々とした笑ひであつたが、兄の自嘲と同じものだ。私はそのとき、あの日の彼の自嘲の顔を思ひだしてゐたのだ。愚行を敢てする者は彼自身であつたのである。彼は人を笑へぬ男であつた。自分のことしか考へることができないタチの孤独者だつた。
★
戦争中のことであつたが、私は平野謙にかう訊かれたことがあつた。私の青年期に左翼運動から思想の動揺を受けなかつたか、といふのだ。私はこのとき、いともアッサリと、受けませんでした、と答へたものだ。
受けなかつたと言ひ切れば、たしかにそんなものでもある。もとより青年たる者が時代の流行に無関心でゐられる筈のものではない。その関心はすべてこれ動揺の種類であるが、この動揺の一つに就て語るには時代のすべての関心に関聯して語らなければならない性質のもので、一つだけ切り離すと、いびつなものになり
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング