へ急いだことは事実だと私は思ふ。安吾は死ねない。ともかく、俺は死ねる、といふことだつた。
 彼の死床へ見舞つたとき、そこは精神病院の一室であつたが、彼は家族に退席させ、私だけを枕頭によんで、私に死んでくれ、と言つた。私が生きてゐては死にきれない、と言ふのだ。お前は自殺はできないだらう。俺が死ぬと、必ず、よぶから。必ず、よぶ。彼の狂つた眼に殺気がこもつてギラ/\した。すさまじい気魄であつた。彼の精神は噴火してゐた。灼熱の熔岩が私にせまつてくるのではないかと思はれたほどである。どうだ。怖しくなつたらう。お前は怖しいのだ、と彼は必死の叫びをつゞけた。
 彼はなぜ、そこまで言つてしまつたのだらう? そこまで、言ふべきではなかつた。私はたしかに怖しかつたのだ。私は圧倒され、彼に殺される宿命を感ぜざるを得なかつたのである。然し、お前は怖しくなつたらう、といふ叫びは、私にともかく余裕を与へた。私は反射的に傲然と答へてゐた。あたりまへだ、と。そして私は全ての力をこめて、彼を睨んでゐた。
 彼の顔に、にはかに、激しい落胆があらはれた。そして、彼は沈黙してしまつた。
 けれども、私は、彼の死の瞬間の幽霊を
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