のかも知れない。ともかくこれを剣の技術的な奥義書とならべて加えたのには別の意味があったのだろう。念流そのものは、およそこの秘咒に縁のない剣法だ。
この巻物に示されている念流の伝統は、樋口家の口伝のものとは異っていて、樋口家にとっては口伝よりも不利である。寛永御前試合に活躍したという定勝の名も、虎の巻の伝統には現れてこないのである。寛政のころ複写されたものらしいが、樋口家にやや不利であったり、講談の豪傑が出てこなかったりするので、かえって信用できるような気がするのである。これは一子相伝で、最高の高弟ですら見ることができなかったものであるから、ここには装飾の手が加わらなかったのではあるまいか。弟子が見ると摩利支天の罰が当り、目がつぶれると云われていたそうだ。
他の奥義書はよく見ていないから分らないが、技術的なものを説いたものは、これはまた甚しく具体的にコクメイに書かれていて、およそ奥義書風でなく、むしろ現代の何かの教本の如きもので、これこそは実用一点張りの念流にふさわしいものであった。全部をシサイに見れば貴重で多くの興味ある文献が含まれているのかも知れない。
私は虎の巻を見ているうちに、現代を忘れた。馬庭念流すらも忘れた。諸国の源氏が一族郎党をひきつれて急を知って馳せ向う大昔を思いだしていたのだ。馬庭念流を百姓剣法と云うのは、半分は当っているが、半分は当らない。むしろ源氏の剣法だ。諸国の源氏が野良を耕しながら武をみがき、時の至るを待っていたころの姿が、そっくりこうだったに相違ない。違っている一事といえば、馬庭ではもう時の至るを待っていないだけだ。それだけに、畑に同化するように、剣にも同化し、それを実用の武技としてでなく天命的な生活として同化しきった安らぎがある。一撃必殺を狙う怖るべき実用剣を平和な日々の心からの友としているだけなのだ。全身にみなぎりたつ殺気はあるが、それはまたこの上もなく無邪気なものでもある。終戦後は村の定めも実行されなくなって、寒稽古にでる若者の姿が甚しく少くなってしまった。
「みんなスケートやスキーを面白がりまして、そっちへ行きたがりますな」
四天王はこれも天然自然の理だというような素直な笑顔で云った。馬庭の剣客は剣を握って立つとき以外は、温和でただ天命に服している百姓以外の何者でもない。まったく夢の村である。現代に存することが奇蹟的な村だ。この村の伝統の絶えざらんことを心から祈らずにいられない。
読者の皆さんも道場びらきのお祭り風景を写真で味っていただきたい。他流の道場にみられる武芸者のいかめしさは全く見当らない。村の園遊会なのだ。ただほほえましいだけである。
底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房
1999(平成11)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部 第六巻第五号」
1954(昭和29)年4月1日発行
初出:「講談倶楽部 第六巻第五号」
1954(昭和29)年4月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング