げ》があり、これが馬庭念流の第一祖である。
 三世のころ、上杉|顕定《あきさだ》に仕えて上州|小宿《こしゅく》へ移ったが、八世の又七郎|定次《さだつぐ》のとき馬庭へ土着し、ここから百姓剣法が始まるのである。今は二十四代である。
 したがって、馬庭念流という独特のものは八世又七郎に始まると見てよい。彼はまた馬庭念流二十四代のうちで最も傑出した名人でもあったようで、念流本来の極意書が樋口家に伝わるようになったのも又七郎の時からである。
 又七郎が馬庭に土着して道場をひらいたころ、高崎藩に村上天流斎という剣客が師範をつとめていた。どっちが強いかという評判が高くなって、ついに藩の監視のもとに烏川《からすがわ》の河原で試合することとなった。天流斎は真剣、又七郎はビワの木刀で相対したが、又七郎の振下した一撃をうけそこねて天流斎は即死した。天流斎のうけた刀と、又七郎の打ちこんだ木刀とが十字形に組んだまま天流斎の頭を割ってしまったので、これを十字打ちと伝えている。ちょうど宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で勝負を決したのと同じころの出来事である。
 又七郎は諸方から仕官をもとめられたが一切拒絶して土に親し
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