葉周作の講談ほどシャクにさわるものはないらしく、四天王も立川文庫の千葉周作をちゃんと読んでいるのである。
「その立川文庫に樋口十郎左衛門というのがありましたね」と訊いてみたら、
「ハ? 存じません。当家は代々十郎右衛門でして、十郎左衛門はおりません」
 とフシギそうに答えた。立川文庫の馬庭念流は全然読んでいないらしい。そういう本の存在も知らない様子であった。作中人物その人は自分の物語を読まないらしい。自分の人生が念流そのものであり、それに尽きているらしい。夢の里の人物には夢みる必要がないのかも知れない。

     源氏の剣法

 頼朝が諸国の源氏を集めたころ、そのころの源氏の豪傑たちはいずれも各々の地で百姓をしながら武技の鍛錬を怠らなかった里人であった。後世の武士とは全く異り、いわば馬庭の里人の如きものが武士の原型であり、源氏の豪傑本来の姿でもあった。だから、一撃必殺を狙う剣法が農民の手で伝えられても、必ずしも怪しむには当らない。
 しかし、この剣法が余りにも風変りで、また実用一点ばりであるから、私も考えこまずにはいられなかった。今日に伝わる剣法の諸流の中で、念流は最も古いものの一つ
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