道場からも六十余名の助勢がくる。また諸所の村里からも念流の門弟が伊香保をさして馳せ参じ、総勢七百余名になった。
 伊香保には大屋と称する湯宿が十二軒あったが、その一軒の木暮武太夫《こぐれぶだゆう》旅館に千葉一党が宿泊し、他の十一軒は念流の一党で占領してしまったのである。
 岩鼻の陣屋から役人が出向き、千葉の奉納額を止めさせて事は一たん落着したが、今度は千葉一党がおさまらない。引間村の浦八方に全員集合し伊香保へ攻め登る用意にかかる。伊香保の念流一党はこれを知って夜戦の符号や合図を定め山林中に鉄砲を構えて敵を待つ。この騒動が十日つづき代官が説得に一週間もかかってようやく伊香保の念流一党を解散帰村させることができた。結局本当の衝突には至らなかったのである。
 これが馬庭の里人の仕でかしたたった一度の騒動であるが、これも念流と師家に対する尊敬の厚きがためである。馬庭の土と念流とが彼らの人生の全てなのだから、代官が説得に一週間もかかったのは無理もなかろう。千葉周作の講談では千葉一党が勝ったように語られている由であるが、これは全くのマチガイで、実際の衝突には至らなかった。そして馬庭の里人にとって千
前へ 次へ
全23ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング