一点ばりの剣術だ。
 馬庭念流の門弟中で名高いのは堀部安兵衛だ。越後の新発田《しばた》から上京すると、馬庭が順路に当るから、自然念流の門を叩くようになったらしく、三年間内弟子の修業をしたそうだ。だから、高田の馬場の仇討も、無構えのヘッピリ腰でやった筈で、さだめし相手も面くらったに相違ない。

     この村が一度喧嘩をした話

 馬庭の里があげて一度だけ騒動を起しかけたことがあった。その相手は千葉周作とその門弟だ。
 千葉周作がまだ血気のころのことらしく、当時彼は高崎在、引間《ひきま》村の浦八《うらはち》の家に泊り、そこで剣術を教え門弟を集めていた。集まる門弟の中には念流を破門された連中も加わっていて、馬庭念流を尻目に天下一の名人千葉周作の名を宣伝してまわった。あげくに千葉一門は伊香保温泉へ赴き薬師堂へ額を奉納したのである。
 念流の人たちは千葉一門の行動をかねて不快に思っていたが、額奉納で怒りが爆発した。他郷の者が薬師堂に奉納額をかけるとは馬庭念流を侮辱するものだと、その額をひきずり下して念流の額をあげるために、師匠には隠して門弟一同馬庭を脱出、伊香保に向ったのである。赤堀村の本間
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