かせる深謀遠慮、沈着の智将なのである。
そして家康の一生には、その武将としての足跡には、三方ヶ原の敗戦このかた蒼ざめて茫然自失した跡などは見られないが、しかも事件突発の当初に於てはそれが五十すぎても変らない持ち前の性格で、側近の見た偽らぬ家康、彼の平凡な一面だったのである。
氏も素性もない他人の女房にかぎって妾にしたがるところは甚しく好色に見える家康だが、それは外道的、反家庭的のように見えて、彼の一生はそうでもない。わが子の一人二人煮ても焼かれても平気な風もあり、わが子を平気で殺しもしたが、それが反家庭的かと云うと、実は徳川幕府というたッた一軒の家督をまもるためでもある。
要するに、家康という人間の行蹟を見て、そこに彼を語る軸をさがすとすれば、それは彼の性格ではなくて、彼の思想であり、性格の上に意志がはたらき、一ツの思想に形成されて熟慮断行されたものが、家康の行蹟であり、家康という人間であった。
同族会社か株式会社か、天皇制か大統領制か、そんなことも性格ではなく思想的に解決せられることであろう。
人生を性格と見るのは易断の弱点の一ツで、人生をひらくものは性格ではなく、意志であり、思想なのである。性格には正邪はないが、思想には正邪がある。人生の価値を決定するものはその正邪の方で、性格はそれ以前の原始なものと知るべきであろう。
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常識的でない、というのも問題のあるところ。日本でも私は次第に常識と解され、常識化されているように思うが、よその国へ当てはめてみると、私の常識性はハッキリするように思う。私の方が普通で、日本の他の文士の方が常識的でないように思うのである。
人とは絶対に相容れないとは手きびしいな。そんな人間はいないでしょう。人と相容れ易いという方が、どうかしてるんじゃないかな。人と容れる容れないも、思想的なもの、考えられた生き方ですよ。
たとえば石川淳は私よりも孤独的で、友達もないが、根は私よりも心あたたかく、ヨコシマなところなく、誰にでも愛さるべき人である。彼を愛さぬ人は愛し得べき良さ美しさに理解できないせいもあろうし、彼に匹敵する深い愛情や、人間の交りはそのような深さに於てのみ相許さるべきことを知り得ないせいもあろう。
私は人と相容れないどころか、相容れて困るぐらいかも知れない。そして私は昔から少数の目上の人に愛されたことなんか一度もありませんでしたよ。
しかし、これは桜井さんの目ガネちがいではありますまい。性格や身の上の公約数をさがして行くと、そうなるのが自然で、人生の指針が易断で間に合う人間にはそれで間に合うものであるし、桜井さんの公約数のだし方にはソツがなく、その限りに於て相当合理的で、易者としては一級の見巧者と申せよう。
はじめ記者がこの写真を持参した某易断所は、写真の易はダメだとお叱りを蒙ったそうであるが、おめず臆せず堂々とやってのけた桜井さんは、自信も立派だが、たしかに巧者でもある。
人と絶対に相容れない、とか、少数の目上には深く愛される、というのは易者の方では常套の言い方らしく、それがある種の人々には却ってピンとくるらしい様子がよく分るけれども、その云い方も易断の弱点の一ツであろう。こんな風に云うのは、どうだろう。
「己れを恃《たの》むのも結構だが、大きに怖れも知らなくちゃアいけねえな」
私は時々こんなことを云って若い人にイヤガラセを云ってやる。
「マジメにやれば誰かが見ていてくれるかも知れないが、能がなければ、マジメなほど救いがねえや。マジメにやれば見ていてくれるというのは、バカ同志の共同戦線かなア。どッちか一ツをハッキリと選んでやりなよ。二ツは一ツにならねえや」
これは易断ではない。酒に酔っぱらッたときの酒の肴たる年若き人物への一場のクンカイの如きもので、したがって甚だ良い気なものであるが、同時に、相手にクンカイをたれているのか、自分にたれているのか、そのへんの区別アイマイモコたる悲哀がこもったところもあるようだ。
かかる一場のクンカイも、これまた人生の公約数的な怪味を帯びているけれども性格よりもいくらか思想性によりかかったところがあって、やや高級な説得力があるらしいが、それにしてもドストエフスキイの小説中に現れるノンダクレのセリフ以上の名言卓説ではない。孔子サマ、ヤソサマの大教訓にヘダタリのあること十五万里。ただし、ドストエフスキイのノンダクレにしても私にしても、自らモグリの言説であることには重々心得があって、決して大教祖を志しているような怪しいコンタンはないのである。
私の四十台までを災いしたものは家庭的問題である、というのは、全然一人ポッチで放浪のみしていた私には全く当らないようであるが、全く当ってもいる。なぜなら全然一人ポッチということも、家庭的問題かも知れんからである。易断は万事かくの如きもので、当っていると思えばみんな当っているし、当らんと思えばみんな当らん。
一人ポッチということは家庭の支えを失っている点では完璧な家庭的問題で、これに災されて四十までメが出なかったというのは、そう思えば、そうなるだろう。もっとも、メが出たときも、同じように一人ポッチであった。
文芸批評家が私の作品や一生を論ずるには、どう云うだろうか。ドストエフスキーの場合には家庭問題ということが彼の作品や生涯を解くカギの一ツとなってるようだが、しかし、それはドストエフスキー自身が手紙や文章の中でそれを言いたてているせいもあるだろう。本人が言いたてたって、一向に本当ではないものである。だから私が家庭問題に煩わされた顔を一度もしなかったり、一度も書かなかったにしても、これまた信ずるに足らずと見たところで、その論者の立場に不可があろうとは思われん。
ただ家庭的に煩雑だというのは当らない。私個人の立場として家庭的に煩雑で、家庭のことまで気にかかるのは時にやりきれんと思うことも確かにあるが、他の人や、他の家庭にくらべて、私の方が煩雑だという比較になると、桜井さんには悪いが、これだけは完全にそうでないようである。しかしながら、主観的に云った場合に、私が家庭を煩雑に見ていることは確かで、特に年とともに環境の淋しさが増すという点は私も同感である。これだけは、それ以外にどうにもならないものを確信せざるを得ません。
桜井さんは、どういう相を根拠にされたのか知りませんが、四十までウダツがあがらず、四十台でともかく名をなす、という点は、その通りでした。
別にアゲ足をとるツモリではありませんが、二十四五、三十二三、三十七八で手痛い苦しみをしたというのは、すこしズレています。すこしズレるというと大体当ってるようだが、実は二三年ずつズレていて、二三年ズレるとこの間隔では最大限にズレたことになってしまう。
六ツ七ツ、十五六、二十一、二十七、三十一、四十四が手痛い出来事があった意味では特筆すべき年で、しかしジリ/\ときたものについて云えば全半生に通じていると申せましょう。こう申したとて、桜井さんの易をどうこう云うわけではなく、このタイプの人間ならこのようなことが手痛い出来事で、そういう出来事に会うとすれば何歳ぐらいという算出以外にヨリドコロはないと思うが、あいにく私の半生は全然世間並のところがないから当り様がないだけで、桜井さんの手腕の問題ではない。当る方がおかしいのだ。こういうものは、むしろ当らない易の方が、全局的に見て、その人の全貌をつかむ合理性を含んでいると思うのである。
六ツ七ツというのは、私が私の実の母に対して非常な憎悪にかられ、憎み憎まれて、一生の発端をつくッた苦しい幼年期であった。どうやら最近に至って、だんだん気持も澄み、その頃のことを書くことができそうに思われてきた。
十五六というのは、外見無頼傲慢不屈なバカ少年が落第し、放校された荒々しく切ない時であった。
二十七と三十一のバカらしさはすでにバカげた記録を綴っておいたが、これもそのうち静かに書き直す必要があろう。
二十一というのは、神経衰弱になったり、自動車にひかれたりした年。
四十四が精神病院入院の年。
こんな常軌を逸した異例の人間の一生は、公約数から割りだせる筈はないし、そんな異例なところまで易が見破る必要はないものなのである。
むしろ、これらのことが当らなかったのは咎むべきことではなくて、アベコベに、四十までウダツがあがらず、ともかく四十台で名をなしたというのは、人相骨相に根拠があって判明したのですか。もしそうなら教えてもらいたいものだ。しかし思うに、桜井さんは諸般の依頼条件から考えて、写真の主を戦後派と見ての推断ではないかと思う。そして、そのようにして推断し、誤りがなかったということは、彼の易断が相当健全な常識の上に立っていると見ることができ、私はその方を信用するのである。私は神ガカリ的な易断や、邪教的な暗示ぶりをとらないのである。
性格として、外によく、内に悪い、というのは、当っているが、しかし、これは当るのが当然だろう。まア人間の九割ぐらいは、外によく内に悪いのが当然だし、特に頭を使う商売や人間関係の複雑な世界に政策商略的な生き方をしなければならない人間は、外によく、内に悪いのが自然で、内に悪いのが一種の休息と目してよかろう。気を使わずにワガママにふるまえるのは自宅だけで、内に悪いというのは、自分のウチだけは安心して自分のもの自分の世界だという気持の現れで、内に悪い方が親しさのアカシと見た方がよい。
本当に仲がわるくて内にわるいのは、外によく内にわるい、という意味の正当なことではなくて、異例のことだ。内に辛く当るのが親しさの現れ、というのが、日本の家庭の内にわるしということの真相だろうと思う。
日本の家庭の封建的のためでもあるが、女子が経済的に男子に従属せざるを得ないことの必然的なものでもあって、その意味では日本だけのものとは限らない。
女子が経済的に従属するという意味を押しつめると、女房というのも良人にサービスする商売だという一面もあることは確かであろう。亭主の気質をのみこんで、ほかの女ではできない行き届いたサービスをする。それだけのサービスしても、亭主は外によく、内にわるくて、よろこんだ風がなく、いつもブッチョウ面をしていると怒るのも自然だけれども、実は亭主というものはそんな無礼なブッチョウ面をさせてくれる女房に甚だ深く感謝しているものだ。
私はオメカケというものを持たないが、日本の家庭の在り方ではどうしてもオメカケの方が敗北し易いのではないかと思っている。日本婦人のやや己れを空しうして亭主に仕えるという献身性は、女が男に従属するという限りでは最高のサービスで、従属的な夫婦関係では、この上のものもない。
オメカケも経済的に男に従属する点では女房と同じことで、こッちはハッキリ商売であるが、容姿が美しかったり、性愛の技巧にたけていたり、天性のコケットで話術にたけ、男の気をひきたたせ、酒席のとりもちが陽気で、男の鬱《うさ》を散ずる長所がある、と云っても、これだけの長所美点全部綜合しても、献身的ということ一つ欠ければ、女が男に経済的に従属するという関係にある限りは、結局献身が最後にかつ。
問題は、女房の方に献身が不足で、オメカケに献身がそなわる場合で、これでは女房が負けるのは仕方がない。ところが日本の女大学的女房は、形式上の女房学者が多くて、忠義と献身とをまちがえているのである。
忠義という修身上の言葉、女大学的に説明の行きとどきうる言葉は形式的で、本当に充実した内容がないのが普通であるが、献身というのは情愛の自然に高まり発した内容があって、経済的に女を従属せしめている男にとって、男をハラワタからゆりうごかし、男をみたしうる力は、女の献身にこす何物もあり得ないものである。
天性のコケットがいかに男を陽気にする力をそなえ性愛の技巧にたけていたって、女房に献身があって、自分にそれがなければ、いつかは男が女房の方へ帰るにきまったものだ。つまり男にサービスする商品としての
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