いは然らん。死しても魂の通うお二人であったでしょう。しかしながら、菊乃さんに自殺の理由は甚だ多くあってもフシギではありますまい。平穏円満な生活の裏にも破綻は宿っているものです。彼女は神経衰弱気味であった由、これほど彼女の自殺を雄弁に語るものはない。
アコガレというものは、一生夢の中にすみ、現実からとざされているから、そのイノチもあるし、人生の支えとなる役割も果す。アコガレが現実のものになるのは危険千万で、誰かがアコガレの対象とあった場合に、他人のアコガレを現実的に支える力はまず万人にありますまい。もっとも、教祖というものがある。これはその道のプロだ。そしてキチガイの関係に属するものだが、一般の夫婦円満の根柢にも教祖と信者的な持ちつ持たれつの信仰の一変形はあるかも知れない。
大詩人だの大音楽家だのと云ったって、その他人にすぐれているのは詩と音楽についてのことで、ナマの現身《うつしみ》はそうは参らん。現身はみんな同じこと。否、現身に属する美点欠点にも差はあるだろうが、それは詩や音楽の才能と相応ずるものではありません。
菊乃さんは越後長岡の半玉時代に先生の酒席に侍って一筆書いてもらった
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