。それを十七年間肌身はなさず持っていたが、近年宴席で先生に再会し、結ばれるに至ったという。まことに結構な話で、そのまま先生の晩年が死に至るまでそうであるのも結構であるが、その平穏円満な生活のうちにも菊乃さんが、なんとなく自殺してしまったとしても、別にお二人のどちらが悪人小人だということにもならない。人生はそういうものだ。二人の人間が互に善意のみを支えとして助け合うつもりでも、破綻はさけがたい。人間は悲しいものです。
 半玉時代にいただいた一筆を十七年間も肌身はなさず持っている。十七年目の再会に、それが二人を結ぶ縁となった、ということは不自然ではない。何の縁がないよりも、何かの縁があった方が結ばれ易いのは自然であるが、それは二人を結ぶために縁となる力はあっても、結ばれて後にはもはや何物でもない。あとは二人の現身があって、よりゆたかなたのしい生活のために協力しあう現実があるだけのことだ。
 半玉時代の宴席でもらった一筆を肌身はなさず持っている、ということは、それを縁とするには結構だが、その後の二人の結婚生活を根柢的に支えているのがそれだという考えが当事者にあれば、はなはだ危険なことでもあろ
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