イではないようだ。
 誰が自殺するか、見当がつかないものだ。私が矢口の渡しにいたころ、近所の老夫婦が静かに自殺していた。小金があって、仲がよくて、物静かで、平穏というものの見本のような生活をしていた人である。子供がなかった。世間的に死なねばならぬような理由は一ツもなかったらしいが、すべてを整理し、香をたいて、枕をならべて静かに死んでいたそうだ。
 塩谷先生は菊乃さんが自殺したと説をなす者を故人を誣《し》いるものだとお考えのようであるが(同氏手記「宿命」――晩香の死について――週刊朝日八月十二日号)誰が自殺しても別にフシギはないし、自殺ということが、その人の、またはその良人の不名誉になることだとも思われない。
 浜辺に下駄がぬいであったということは、偶然死よりも自殺を考えさせるものであるし、殆ど水をのんでいなかったということは、思いつめた切なく激しいものによって、目当ての死に先立って死んでいた、そういう一途な思いつめたものを考えさせます。先生がたまたま通りがかりの仏寺の読経をきいて黙祷した。と、仏寺の主婦が現れて茶に誘ったという。それを菊乃さんの死の時刻と見、霊のみちびきと見るのは、ある
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