愛されることが、口惜しく、癪にさわり、腹が立ち、我慢ができなくなるのが当然ではありませんか。憎悪にかられるのが当然でしょう。しかも当の本人は、自分が恋人をこの上もなく傷つけているのが分らないぐらい無邪気なのだ。実に人々はそれを彼の無邪気さと云い、彼の底なしのウヌボレ。額面通り大先生が賤の女を愛すとはエライことだ、汝幸せな女よ、と言うであろう。そして、彼の一人ぎめの大そうな名誉が自分に配給されてるそうだが、切実な老後に対する保証は一ツもない。
 それというのも、自分が彼の一筆を十七年間も肌身はなさず持っていたなどゝ云いだしたのが事の起りであると思えば、要するに彼によって救われ、安定を与えられ、死しても瞑すべき名誉を与えられ、いわば、先生の無邪気というもののイケニエにあげられた観あるのも、身からでたサビである。誰を恨む由もない。
 切実な生活問題が解決し、生活の安定を得たのは先生だけで、菊乃さんは救われもしないし、安定してもいないのだ。
 集まる門下生は先生同様無邪気で、単に快く王様をかこむ雰囲気にとけこむだけであったろう。先生の一人ぎめの晩香になりきって見せ、先生が思いこんでいるよう
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