。
しかも、先生の論理によれば、芸者という賤の女が自分のような学者の妻となり、古の殿サマの一族の前へでられるのだから幸せも極まれり、というのであるから、彼女の老後の如きは全然問題ではないらしい。
「実に菊乃は唐人伝奇中の人物である」
と仰有る。
つまり芸者ともあろう下賤の者が自分のような大学者の妻となり、古の殿様の謡曲の席に同席するに至ったのが、唐人伝奇中の人物に当るという意味であるらしい。ウヌボレの無邪気なのも結構であるが、当の菊乃さんにとって、このウヌボレの無邪気きわまるものが、どう響いたであろうか。暗澹たる心中、察するに余りあるではないか。
先生の菊乃さんへの愛情は一途なものであったろうが、芸者たりし故に賤の女と見、自分の妻となったのは名誉この上もなく、死すとも瞑すべきであるとなすような考えも、これまた牢固たる先生の本音であり、しかも、それすらも愛情のアカシであり、ノロケのタネであった。
自分の愛がいかに高く深いか。それを証するものが、この賤の女をわが女房としてやったことである。この一事こそ至高の愛の証拠であり、お前は唐人伝奇中の人物、死しても瞑すべきではないかという。
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