る。晩香亡き後、私はむしろ二三子の手に死なんと願うものである。(と言っても決して長男夫婦の孝志を辞する訳ではない。)
 私の心境は伊東火葬場の棺前で述べた通りである。神仏の前には身分の相違はない。新憲法も人権の自由平等を認めて居る。棺前に立った時は塩谷温対長谷川菊乃であった。之が人間の真の姿である。穂積博士の脳髄は医学の好資料となった。私は俎上の魚となった以上敢て逃げ匿《かく》れはしない。内外の学者文士、評論家に由って私の人間味を忌憚なく縦横に評論して戴きたい。戦後派諸人の反省する所となり、人道の扶植《ふしょく》に寄与するあらば幸甚である。或人は「恋は内証にすべきもので公然なすべきものでない」といい、又或人は「先生の愛は僅に一年有半に過ぎなかったが、それは圧縮した一篇の詩である。長くなれば散文になってしまう」といった。夫れ然り豈《あに》夫れ然らんや。嗚呼私は是にして公は非なるか、美人は薄命か、薄命なるが故に美人か。仰いで天に問えば天は黙々。俯して地に質せば地は答えず、菊乃々々奈汝何。(七月三日於小俵晩香庵記)
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 私の姪が自殺したことがあった。年は廿。自宅の前
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