になり、私も大に安心した。然るに入籍させなかったから今回の不幸を見るに至ったというものあらば、晩香の真情を知らざるものである。
要之《これをようするに》私と節子との夫婦生活は愛と敬とに終始したが、晩香とは愛の一筋であった。晩香は長岡での全盛時代、偶々《たまたま》軍需景気の倖運児の妾となったが、元来妾という裏切り行為を屑《いさぎよし》とせず、断然之を精算して、自ら進んで名家の正妻となったけれども、散々苦労の末、遂に破鏡の憂目に遭った。世の荒波にもまれながらも、よくその心の純真さを失わなかった。泥沼の蓮とは晩香のことである。(廿五年三月号の主婦と生活に詳《つまびらか》である。)私は晩香の純情を愛した。晩香も亦《また》私に由り、私を通して、始めて真の愛情を知った。私から受ける直接の愛ばかりでなく、私を取りまく人々の意気に感激した結果である。尾崎士郎君は「夢よりも淡く」と評し去ったが、夢ではなく、現実であった。即ち晩香は小田原に於ける漢文素読会を生んだ。固《もと》より私を中心としての学生会であるから、私は生みの親であるが、晩香は育ての親であった。学生の晩香を追慕する情は誠に涙ぐましいものがあ
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