なきあとにも、菊乃さんの老後は残っているのである。
戦争前の財産が殆どゼロとなった今日、先生なきあと、菊乃さんの老後のタヨリとなる多くの物があろうとは思われない。
先生は敗戦後の今日往時のように華やかな時代はすぎ去っても、尚多くの門下生にとりまかれ、そういう雰囲気というものは、どこの学者や芸術家にもあることで、諸先生の客間や書斎はどこでも王城のようなもの。その書斎の主が王様で、そこの雰囲気しか知らなければ、学問や芸術の王様は天下にこの先生たった一人のように見える。ナニそんな王様は天下に三千人も五万人もいるのだ。
先生とそれをとりまく門下生は、わが王城の雰囲気に盲いてわが天下国家を手だまにとって談論風発して、それで安心し、安定していられるけれども、天下の大を知るハタの者から見れば、まるで違う。菊乃さんは芸者だから、永年客席に侍ってきた。芸者の侍る宴席というものは、これがまた各々一国一城の雰囲気をもっているもので、村会議員やヤミ屋の相談会でも、やっぱり王様や王国の雰囲気、王様と王様の御取引なのである。
そういう数々の王様や数々の王国の雰囲気を、表からも裏からも見てきた菊乃さんは、そ
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