酷使で、犠牲になったものだそうである。(朝日)林は朝日に、小説を執筆中だった。だから平林によれば、差し当り朝日が「どんらん飽くなき」ジャーナリズムの代表ということにもなりそうだ。現代の作家とか批評家とかいわれる人種は、ジャーナリズムで生計をたてているのであるが、何か悪いことが起ると、原因をジャーナリズムに押しつけるくせがあった。悪人はきまってジャーナリズムだった。
 林は一年中つづけて、長篇を書いたほか月々三つも四つも短篇を書いた。芸術にも勤労にも、常識にないことだそうだが、こんな無理を強いたのはジャーナリズムだったと、平林はいうのである。だが飽くなきどんらん性は、無理を強いた側のみにあって、無理を呑みこんだ側にはないのか。これは魚心と水心だ。罪があるなら、罪は五分五分のたたき分けでなければならないはずである。あまり一方的のものの言い方をすると、逆効果で、死者を辱しめることになりそうだ。
 一般にジャーナリズムに対し、個人の力で、どうにもならない魔法の力があるような迷信がある。清水幾太郎によると、二三の大新聞と、NHKが共謀すれば、思うがままに世論を作り出すことができるそうだ。だが民衆
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