の一因であるという意味のことを言いもらしてはいないのである。ジャーナリズムの過度の要求に応じてムリをしたのは林さんが体力を過信したマチガイにもとづき、その死の責任が林さんにもあることを明かに暗示しています。
 ところが宮本竹蔵先生は、「ムリを強いたのはジャーナリズムの側だけだと平林は云うが、ムリの強制をひきうけた側にも罪はないのか。五分五分ではないか。一方的な言い方をすると逆効果で死者を辱しめることになる」と云って、自分の方が一方的な読み方をしていること、否、全文をよまずに架空の平林説をでッちあげて、そのお前の説は死者を辱しめる逆効果を生む危険があるぞと実に有りがた迷惑と申すべきか。こういう訓戒までオゴソカに申し渡してあると、この雑誌のように平林さんの本文が同時に載っているわけではないから、読者は本当に平林さんが死者を辱しめているかと思い宮本竹蔵先生の方が自分勝手の平林説を一人ぎめにでッちあげて、コキ下したり、訓戒を与えているのだとは知ることができない。実にヒドイと思うねえ。そのように人を傷けて、それで羞なき人間がいかに小新聞とはいえその第一面の特設の欄に覆面の批評を加えるとは、その新
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