いうことになりそうだ」こうアベコベに推測し、アベコベの平林説をデッチあげた上でインネンをつけ、そのように読みもしないでインネンをつけることが文化人の所業としていかに羞ずべきか、それは本来批評などというものではなくてヨタモノが人の言葉尻にインネンをつけると全く同じものにすぎず、文化人たる教養も礼儀も根柢的に欠いて、しかも省る色のないその厚顔恥なきこと、まったくユスリの暴力団と変るところはない。
 ところが、平林さんの本文では、更にそれにひきつづいて、即ち、林さんは弱小資本出版という日本出版業の特性の犠牲になったようなものだと述べた後で、身を処すに思慮深い林さんが群小出版社の競争というウズマキにまきこまれたのは、自分の体力に対する過信からであった、と述べているのである。そして死に先立つにそう遠くない最近に、彼女は平林さんに心臓の不安を訴えたことがあって、そのとき平林さんはムリな仕事をやめるようにと彼女に忠告したが、心臓の不安を訴えるほどでありながら一向にその忠告をききいれそうもなく、更によほどの病気の不安に脅かされるまではムリをつづけそうであったと書いている。つまり体力を過信したことが急死
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