な作家の作品を載せて冒険を試みることができない。一応世間の評価が定まった顔ぶれをならべて、大モウケはできなくても大損のないような商法をとらないと、小資本出版業の月々の安定は保証されない。そこで群小業者が一様に当り外れのない商法に依存する結果として、特に人気作家にだけ各社の注文が集中することになる。林さんの死はそういう小資本出版という日本の特異性の犠牲であった。ただし、「大ゲサに云えば」と特に平林さんはつけ加えることも忘れてはいなかったのである。ところが宮本先生は「平林の説によるとどんらん飽くなきジャーナリズムの代表は差し当り朝日ということになろう」なぞと仰有《おっしゃ》る有様で、平林さんによれば大新聞以外の出版が小資本であるために冒険ができず一様に当り外れのない商法にたよって人気作家に注文が集中する。その犠牲になったような林さん。こう論断して、特に大新聞以外の小資本出版の特性が必然的に流行作家を追いまわす結果を生じる点を指摘して、林さんが犠牲になったジャーナリズムとはそのジャーナリズムの方だと言ってるのですね。
これは平林さんの独特の説であろう。ジャーナリズムの酷使といえば、誰でも新聞小説を考えそうで、そういう考えが常識のようになっている。おまけに林さんは朝日に連載小説をかいていた。しかるに、平林さんに限って、林さんは新聞小説の犠牲で倒れたとは言わず、その他の群小出版業者が一様に小資本で企画に冒険が許されなくて必然的に人気作家を追いまわして商法の安定をはかる。その日本ジャーナリズムの一特異性が林さんを犠牲にしたものだ、と、極めて特徴のある論をなしているのである。
大新聞の注文だって人気作家に集中する傾向は目立っており、小資本出版業だけが小資本のために冒険ができなくて人気作家を追いまわす、とのみは云われぬものがあるようだ。そして平林説に異論をたてるとすればその点であろう。
ところが、宮本竹蔵という先生は、平林さんの文章の最も異色ある所論の反駁かと思いきや、それを否定しているために異色を生じているその否定の方を平林説と一人ぎめにしてそれに文句をつけて、林さんを殺したジャーナリズムと平林が云うのは朝日のことだろう、こう云ってるのだ。だが彼は平林さんの全文を読んでいないということが分ります。にも拘らず彼は実に怖れげもなく「平林がどんらん飽くなきジャーナリズムとは朝日と
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