とが好きな人物がまぎれこまないとは言われない。この二ツがいつダブることによって騒動になるか誰も今後の保証はできん。可能性の問題であって、今までなかったということは今後の保証に無力であるが、それが保証になるようなら、競輪の方にも今後は騒ぎがないかも知れん、という希望だけでも一ツの保証となろうさ。可能性としては、同じことなんだからな。
八百長レースと火つけ人種がダブッてゴタゴタを起すのもその根本の原因はトバクであるためであるし、八百長レース火つけ人種がいつダブるか知れんということは人為的にどうすることもできないのだから、治安の害ありとせばトバクのせい、トバク禁止という結論に至らないのがフシギではござらんか。治安の害とトバクとが表面的に独立した言葉の意味をもっとるから、競輪禁止の決議は治安の害によるもので、トバクだからということは一言も言うとらん、こういう形式上の言い訳で表向き間に合うのかも知れんが、それで表向き間に合うというのは危険なことですなア。一ツ間に合いはじめると、天下国家に表向き間に合わんものは一ツもなくなってしまう。
なるべく禁則はしない方が望ましいと仰有るのはその通り。あれもイカン、これもイカン、と禁止して、人間どもを檻の中で飼うことによって国を治めるのはバカ殿様でもできる。
競輪場のゴタゴタを放火傷害強盗殺人と仰有るが、私のように競輪場に行きつけている者の目から見ればそう大ゲサなものではなくて、ちょッとした一ツのものをつけ加えると、それは愉しい遊びの雰囲気になりうる性質のものなんですね。
先々月大阪に競輪の近畿ダービーが行われたが、その女子決勝レースが珍なことになってゴタゴタが起った。実にこれは珍なるレースで、三千|米《メートル》決勝レースの二千九百米余が終り最後のコーナをまさに曲りきって直線コースにかかろうというところで、先頭の松下嬢のクリップが外れて転倒、すると次から次へ折り重なって八名の選手のうち七名がころんでしまった。一番ビリにおった選手だけが難をまぬがれ、そこからゴールまではたった百米だし、目の前に全部倒れてしまったのをチャンと見届けていらッしゃるから、あせらず、あわてず、一人静々とゴールインあそばす。某競輪雑誌がこの独走ゴールインの写真説明に曰く、
「御覧の如く孤影愕然と、また独り悠々とゴールイン。もちろん一着!」
車券が外れて、よほ
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