勝犬の血統から、猟犬、番犬、牧羊犬、警察犬、盲導犬、愛玩犬の優良種が生れると本気に宣伝する気なら、それが何犬の協会の御発案か知らんが、どうも智脳の程度が犬に似ているのじゃないか、精神智脳鑑定を要する問題であろうなぞと疑わざるを得んですな。
なるほど、競馬をはじめ、競輪、オートレース、いずれも馬や自転車や自動車の品種改良向上と云ってるけれども、いずれも早く走るのが主目的な動物又は機械であるから、向上改良の筋は立っておりますよ。今までの競何々はそうだったが、しかし、券を売って競走するものは、なんでも品種改良向上のためだときめてはいけませんな。
人間にも駈け競走というものがあって、これにプロをつくって券をうることもできない筈はないが、その優勝者の血統から大博士、大臣、大軍人、大音楽家が生れると云うようなことは、まさか陸上競技レンメイの会長でも云わないと思うな。競輪だって自転車と人間と二ツ合して一組となって競走するのだけれども、品質改良向上というのはもっぱら自転車の方で、決して人間の方の品質向上改良とは云っとりませんな。
私は議会とやらへ提出中の「畜犬競技法案」の目的として向上改良というのを新聞でよんだ時に、日頃ウチの日本犬のワケも分らずに忠義専一、バカなのには音をあげてるものですから、何と勇気ある方々よ、と、そぞろにキモをつぶしたのです。犬の競走というオナグサミを提供して同時に地方財源としてテラ銭をかせぎたい、これが本当のところであろうし、それだけで充分であろう。競犬にも遊びとテラ銭かせぎのほかの役に立つ任務があるということを書き加えておかないと、お役所のハンコがもらえない。何事も大義名分という形式の問題である。国家に形式主義が行われる時は、亡国か革命の前夜であるとは諸国の歴史が証明しているのであるが、いい加減な大義名分だけは一度戦争に負ければタクサン、もうコンリンザイやめにしてくれないかねえ。もっと利巧になりましょうよ。
公安委員会が競輪禁止を決議したのは「治安に害がある」という理由で、賭博がいかんとは一言も云うておらんと仰有るのも、形式的な屁理窟でしょうな。
競輪にゴタゴタが起るのは八百長レースらしきものがあって一部の観衆が騒ぐのであるが、八百長レースは競馬やオートレースにもないとは云われん。また競馬やオートレースの見物人の中に火を放《つ》けたり暴動を起すこ
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